回天特攻・有縁戦没者他の回想記 ―海軍を通じての奇縁―
回天特攻・有縁戦没者他の回想記 ―海軍を通じての奇縁―
¥2,381(税別)

岩井良平 著(海軍兵学校第73期) 平成22年4月

ISBN978-4-87602-886-3 C1020
四六判並製396頁

 先ず、この書を作成した謂われを記述しておきたい。平成17年初頭、私は、近くの書店で何気なしに手にした雑誌に、回天特別攻撃隊轟隊金井行雄海軍少尉の墓所として掲載されている写真が目に付いた。戦死者の墓石としては、一般の墓石同様の笠付き墓石であることに違和感を覚えさせられた。それは、群馬県富岡市相野田の、金井家菩提寺である得成寺に隣接する墓地に在るという。小学校同級生の行雄さんの墓所は得成寺だったのか、今度郷里へ行ったなら案内がなくても長年懸案の墓参が出来る。
 20数年前の春のお彼岸に、小学校同級生の墓参会に参加した際、金井行雄さんが予科練に行き、特攻隊で戦死していると聞いていたから、行雄さんは航空特攻と思い込んでいた。それが、財団法人 特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会『会報 特攻 第48号』の記事により、行雄さんは回天特攻での戦死と知った。しかも、その隊長小林冨三雄中尉と私は戦艦「伊勢」で候補生期間を共に過ごしたコレスという深い縁であった。私は己の迂闊さを省み、改めて慰霊墓参の機会を求めていた。
しかし、得成寺や小学校同級生の瀬下治男さんに問い合わせて、私が見た写真は誤情報であることが確認された。未だに閲覧した雑誌名を思い出せず不可解のままであるが、行雄さんの墓所が得成寺に在るとの誤情報がマスコミに流れており、行雄さんがその訂正を求めて、私に合図の信号を送っているように思われてならなかったのである。
 それで、当初はA4半裁版、袋綴じのせいぜい20~30頁のパソコンワープロ印刷・自家製本の小冊子を作成して、郷里の富岡市小野地区公民館図書室や小学校同級生の希望者達に配布することを思い立った。
 だが、資料収集に協力戴いた瀬下治男さんより提供された、思いがけない小学校時代の古い写真に、回想が膨らみ記事が増えた。加えて、同じ同級生松本俊雄さんが、軽巡洋艦「五十鈴」乗組で戦死されていることが改めて認識され、調査記録の範囲が拡大された。更に、調査過程の関連で旧制群馬県立富岡中学校同窓の海軍3校(海軍兵学校、海軍機関学校、海軍経理学校の総称)出身者で戦没した先輩各位へと広がった。そして、資料が得られないまま中断していた、私の養家の戦死した両義兄の戦没状況の再調査にまで発展した。
 私の郷里の方々を読者の主対象とした関係で、全般的に説明不十分のそしりがあろう。加えて、甲種飛行予科練習生出身で戦死した三友喜代治君・佐藤 彰君達を始めとして、調査力も及ばず、中学同学年で海軍で戦没された各位への記録を欠いたことは、真に申し訳ないが寛容して戴きたい。
 調査対象の拡大に伴い、関係戦没者と遺族各位、小学校同級生の瀬下治男さんは勿論、旧海軍関係の先輩・期友各位、大津島回天記念館を始めとして、関係公的機関の関係者各位には大変ご協力を戴いた。また、極力資料は引用に努め、その各所で協力戴いた各位に、ここで改めて感謝申し上げる次第である。
 軽巡「五十鈴」の関係資料の資料収集に協力戴いたクラスの川端淑郎君が平成18年7月81歳で、回天関係資料の提供を戴いた小灘回天会々長が同年9月に83歳で、本書の完成を待たずに逝去された。ここに哀悼の意を捧げる。特に、小灘回天会々長の他界は、伊361潜回天特攻轟隊の戦績調査への期待もかかっていただけに、惜しみても余りがある。両氏のご冥福を切にお祈り申し上げる次第である。

目 次

はじめに

第1章 回天特攻有縁の回想
回天特攻隊員 心の古里 回天隊発祥の地 大津島・他
伊361潜轟隊
伊361潜轟隊関係記録
金井行雄海軍少尉の遺影と墓石
金井行雄海軍少尉の履歴

第2章 回天特攻隊について
回天と私の関わりについて
伊361潜搭載回天特攻隊轟隊の場合
伊58潜搭載回天特攻隊多聞隊の場合
回天特攻存在の意義の結論 ―回天存在の意義の証―
伊53潜は苦闘を回天戦で切り抜け生還 ―私の関連回想等―

第3章 戦前・戦中の回想
金井行雄さんに関する回想
旧小野村尋常高等小学校時代の回想
白岩の同級生に関する回想
私の初陣での戦闘体験の回想
戦後知った「伊勢」敢闘の評価
「伊勢」の上甲板士官勤務での回想等

第4章 私の旧制中学先輩各位への回想等
瑞鳳分隊長で戦死された渡辺正大少佐
私の初陣での回想と生涯の拘り
野中勇三郎少佐と荒木浅吉艦長
黒澤丈夫少佐
戸塚 弘中尉(戦死当時)
大里頼栄中尉
岡田善平少佐
石井勝信少尉
岩井 久・重男両上等兵の戦没

おわりに

数量