川崎昭典 著
著者は「有名でもなく、成功もしなかった一個人の自分史などは、何の価値もないといわれるかも知れない。」と述べ、「しかし、私の人生75年というものは実に歴史に翻弄されて生きてきた現代史そのものである」と言われています。
実は、著者は人もうらやむ一流大学出身で、大蔵省をはじめ要職を歴任、大学院教授を定年退職とは並々ならぬ職歴の人物、成功、不成功は比較の問題、所詮自分史によく見る紋切型のご挨拶ですが、後段の現代史そのものというのは、戦中戦後を生きた人間にとっては、いろいろな意味で強烈なインパクトがあります。生命をも含めての価値観のさまざまな変動の中、新しい選択肢を求めて生きた時代でありました。
そこで登場するのが、高知県出身の著者のバックボーンである土佐言葉「いごっそう」です。いまの若者には、意味が分からないかも知れませんが、標準語で言えば、なんでも反対するへそ曲がりとか、天邪鬼という意味合いで、あまりほめた言葉とはいえません。
しかし、へそ曲がりでも節を曲げぬところに意気がある、という。千万人といえども我往かんという意気なのです。 著者は、自ら短気で短絡的だとは認めていますが、むしろ、素直に人の言うことを聞かない(キカナイ)高尚な賢人(?)を主張しております。だから出世しない、上手に世渡りしない異骨相(偉骨相ともいう)を通してきたといいます。大蔵省はそれと運で成功しなかったのだといっています。
戦争と平和のはざまに生きた著者は、大半を大蔵省で過ごし、その衰亡というより崩壊をまざまざと見ました。解体されたのです。なぜか?
さて、当然ながら、それをかいつまんで述べることは不可能です。委細は著者が精緻な頭脳でその半生を記録した「いごっそう伝」により納得していただくのが、ベストかと存じます。必ずや、得るところ多からんことを心から期待します。