Archive for 6月, 2010

大学の組織戦略

大学の組織戦略

土谷茂久 著
学校法人経理研究会 発行

 すでに限られた数ではあるが、私立大学の経営に関する論著がある。しかし、もしもあえていうことを許されるならば、そのほとんどは、理論の羅列に終わっており体験に裏付けられていないか、自己の体験に基づくものの理論的裏付けが乏しいか、あるいは企業経営の観点からの議論に終始し大学経営の特質をとらえていない、といってもよいのではなかろうか。
 もとより、このたびの「大学の組織戦略」はまだまだ未熟のものであるが、これは体験者の立場から理論的裏付けをもってかかれたものである。(まえがきより抜粋)

私立学校施設設備の管理実務

私立学校施設設備の管理実務

東京文化学園理事 森本晴生 著
学校法人経理研究会 発行

 学校法人の基本財産の一つである固定資産のうちの有形固定資産について、校地・校舎・その他の構築物・施設等についての具体的な管理方法を、財務、保全、防災、管理の各方面より解説し、実例を示して詳細かつ具体的に説述した管理実務書。

専修学校認可届出の実務

専修学校認可届出の実務

東京都専修学校各種学校協会 元事務局長 蛯原増男 著
学校法人経理研究会 発行

 本書は、専修学校を新設する場合に、基礎となる考え方、心構え、書類の作成方法につき「手引き」として出来るだけ分かりやすく纏めてある。また、設置認可を受けた後も、課程の設置・廃止など、他の認可や届出についても規定されており、それらにも活用できるよう十分に配意されている。さらに、専修学校設置の場合の設置主体となる「準学校法人」の設立認可申請や設立後の書類作成方法等についても詳細に記述されている。

子どもと学校の歴史

子どもと学校の歴史

足利工業大学 教授 麻生千明 著 平成22年3月

ISBN978-4-87602-885-6 C1037
A5判並製174頁

2002(平成14)年春に教科書『子どもと学校 歴史と現状』を刊行して7年以上が経過した。
本書は、旧テキストの「第一編 歴史の中の子どもと学校」をもとに大幅に書き加え、『子どもと学校の歴史』とのタイトルで刊行した。内容は、子ども観、子どものしつけ、子殺し等の問題から叙述し、以下、古代、中世、近世、近代の各時代の時代的特徴と教育について叙述している。今回、記述に際して特に配慮したことは、過去の歴史といっても、単なる過去のこととしてではなく常に現代の問題意識に立ってとらえようとしたこと、および日本と西洋との比較(国際比較)の視点を出来る限り取り入れようとしたことである。例えば第1章の子ども観、育児やしつけの問題については、日本と西洋の対比、および古代から現代に至るまで通史的に叙述している。同様に、学校教育についても、国際比較でみる日本の学校の特徴、文字学習に関する日本などの漢字文化圏と西洋のアルファベット文化圏の相違についての叙述も新たに加えた。

目 次

序 章 「子ども」について
1.子どもをめぐる呼称の歴史
2.人間の発達段階における「子ども」
3.各種法令における「少年」「児童」「未成年」

第1章 子ども(子ども観)と子育て・しつけをめぐる昔と今
第1節 日本と西洋の子ども観と育児・しつけの比較
第2節 子殺し(間引き・子返し)の歴史
第3節 近代(明治)以後の人口政策と現代の「少子化」問題

第2章 学校の登場─日本における古代の学校・大学寮─
第1節 わたしたちの経験のなかの学校─現代日本の法規上の学校─
第2節 学校の登場
第3節 日本における文字(漢字)の伝来と学校の登場

第3章 中世武家社会における家庭教育(家訓)と学校
第1節 中世の時代的特徴と武士教育
第2節 武家家訓にみる中世武士教育
第3節 能役者・世阿弥の家訓『風姿花伝』
第4節 中世の教育機関─金沢文庫・足利学校─
第5節 寺院における世俗教育
第6節 中世における子どもたちの遊び

第4章 近世江戸時代の学校と教育
第1節 「近世」という時代と教育
第2節 武士の学校─昌平坂学問所・藩校・私塾─
第3節 寺子屋で学ぶ庶民(商人・農民)の子ども

第5章 明治前半期における近代学校制度の成立過程
第1節 「学制」期における近代学校制度の発足
第2節 国家主義的教育体制の確立(明治10~20年代)

第6章 「教育勅語」の公布と国定教科書の変遷
第1節 第2次「小学校令」と「教育勅語」の公布
第2節 教科書の国定化と国定Ⅰ期・Ⅱ期教科書
第3節 大正新教育運動と国際協調的な国定Ⅲ期教科書
第4節 昭和の軍国主義下の国定Ⅳ期・Ⅴ期教科書

終 章 終戦前後の若者たちと子どもたち

回天特攻・有縁戦没者他の回想記 ―海軍を通じての奇縁―

回天特攻・有縁戦没者他の回想記 ―海軍を通じての奇縁―

岩井良平 著(海軍兵学校第73期) 平成22年4月

ISBN978-4-87602-886-3 C1020
四六判並製396頁

 先ず、この書を作成した謂われを記述しておきたい。平成17年初頭、私は、近くの書店で何気なしに手にした雑誌に、回天特別攻撃隊轟隊金井行雄海軍少尉の墓所として掲載されている写真が目に付いた。戦死者の墓石としては、一般の墓石同様の笠付き墓石であることに違和感を覚えさせられた。それは、群馬県富岡市相野田の、金井家菩提寺である得成寺に隣接する墓地に在るという。小学校同級生の行雄さんの墓所は得成寺だったのか、今度郷里へ行ったなら案内がなくても長年懸案の墓参が出来る。
 20数年前の春のお彼岸に、小学校同級生の墓参会に参加した際、金井行雄さんが予科練に行き、特攻隊で戦死していると聞いていたから、行雄さんは航空特攻と思い込んでいた。それが、財団法人 特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会『会報 特攻 第48号』の記事により、行雄さんは回天特攻での戦死と知った。しかも、その隊長小林冨三雄中尉と私は戦艦「伊勢」で候補生期間を共に過ごしたコレスという深い縁であった。私は己の迂闊さを省み、改めて慰霊墓参の機会を求めていた。
しかし、得成寺や小学校同級生の瀬下治男さんに問い合わせて、私が見た写真は誤情報であることが確認された。未だに閲覧した雑誌名を思い出せず不可解のままであるが、行雄さんの墓所が得成寺に在るとの誤情報がマスコミに流れており、行雄さんがその訂正を求めて、私に合図の信号を送っているように思われてならなかったのである。
 それで、当初はA4半裁版、袋綴じのせいぜい20~30頁のパソコンワープロ印刷・自家製本の小冊子を作成して、郷里の富岡市小野地区公民館図書室や小学校同級生の希望者達に配布することを思い立った。
 だが、資料収集に協力戴いた瀬下治男さんより提供された、思いがけない小学校時代の古い写真に、回想が膨らみ記事が増えた。加えて、同じ同級生松本俊雄さんが、軽巡洋艦「五十鈴」乗組で戦死されていることが改めて認識され、調査記録の範囲が拡大された。更に、調査過程の関連で旧制群馬県立富岡中学校同窓の海軍3校(海軍兵学校、海軍機関学校、海軍経理学校の総称)出身者で戦没した先輩各位へと広がった。そして、資料が得られないまま中断していた、私の養家の戦死した両義兄の戦没状況の再調査にまで発展した。
 私の郷里の方々を読者の主対象とした関係で、全般的に説明不十分のそしりがあろう。加えて、甲種飛行予科練習生出身で戦死した三友喜代治君・佐藤 彰君達を始めとして、調査力も及ばず、中学同学年で海軍で戦没された各位への記録を欠いたことは、真に申し訳ないが寛容して戴きたい。
 調査対象の拡大に伴い、関係戦没者と遺族各位、小学校同級生の瀬下治男さんは勿論、旧海軍関係の先輩・期友各位、大津島回天記念館を始めとして、関係公的機関の関係者各位には大変ご協力を戴いた。また、極力資料は引用に努め、その各所で協力戴いた各位に、ここで改めて感謝申し上げる次第である。
 軽巡「五十鈴」の関係資料の資料収集に協力戴いたクラスの川端淑郎君が平成18年7月81歳で、回天関係資料の提供を戴いた小灘回天会々長が同年9月に83歳で、本書の完成を待たずに逝去された。ここに哀悼の意を捧げる。特に、小灘回天会々長の他界は、伊361潜回天特攻轟隊の戦績調査への期待もかかっていただけに、惜しみても余りがある。両氏のご冥福を切にお祈り申し上げる次第である。

目 次

はじめに

第1章 回天特攻有縁の回想
回天特攻隊員 心の古里 回天隊発祥の地 大津島・他
伊361潜轟隊
伊361潜轟隊関係記録
金井行雄海軍少尉の遺影と墓石
金井行雄海軍少尉の履歴

第2章 回天特攻隊について
回天と私の関わりについて
伊361潜搭載回天特攻隊轟隊の場合
伊58潜搭載回天特攻隊多聞隊の場合
回天特攻存在の意義の結論 ―回天存在の意義の証―
伊53潜は苦闘を回天戦で切り抜け生還 ―私の関連回想等―

第3章 戦前・戦中の回想
金井行雄さんに関する回想
旧小野村尋常高等小学校時代の回想
白岩の同級生に関する回想
私の初陣での戦闘体験の回想
戦後知った「伊勢」敢闘の評価
「伊勢」の上甲板士官勤務での回想等

第4章 私の旧制中学先輩各位への回想等
瑞鳳分隊長で戦死された渡辺正大少佐
私の初陣での回想と生涯の拘り
野中勇三郎少佐と荒木浅吉艦長
黒澤丈夫少佐
戸塚 弘中尉(戦死当時)
大里頼栄中尉
岡田善平少佐
石井勝信少尉
岩井 久・重男両上等兵の戦没

おわりに

教育原理要説

教育原理要説

麻生 千明 著

 教育において、その成否の要となるのは、教育の担い手である教師いかんによることは、いつの時代でも変わることはない。教師の資質、あり方は究極において重要である。
 今日、教育の課題はますます重くなっていると思う。学校の現場はいろいろ困難な問題も多い。1970~80年代、生徒たちが集団で荒れていた「校内暴力」、そしていじめ、今はごく普通の少年が突然キレて凶行に及ぶ「新しい荒れ」の時代といわれる。そして年々増加する不登校、青少年の非行や凶悪な犯罪。特に小学校女児が下校時に襲われ殺害される被害も相次いでおり、そもそも子供たちの生命を守ることに腐心しなければならない事態になっている。
 対応策は、学校教育の範囲を超えて、家庭や地域の教育力をいかに高めるか、コミュニティーの形成など拡がりがある。社会全体の総合的な教育が大切であるが、学校教育の課題も大きい。児童・生徒の生活指導、また学習指導の面でも、いかに基礎学力をつけるか、学校間の連携・協力をはかるか、など教育課題は大きい。それだけに教師に求められるものも多大である。

多満自慢 石川酒造文書 第9巻

多満自慢 石川酒造文書 第9巻

多仁照広 著

 昭和58年12月創刊以来、迂余曲折20年、石川家の決断と多く の協力者を得て、ようやく完結を見た。本書は石川酒造の歴史のみならず、多摩川流域の地方史でもあり、また幕府や、朝鮮使節団との応接、幕末激動の時代から明治、大正をへて現代に至る緻密で貴重な記録であり、『未来への大いなる遺産』である。
 第1巻~第9巻 好評発売中。

多満自慢 石川酒造文書 第8巻

多満自慢 石川酒造文書 第8巻

多仁照広 著

 昭和58年12月創刊以来、迂余曲折20年、石川家の決断と多く の協力者を得て、ようやく完結を見た。本書は石川酒造の歴史のみならず、多摩川流域の地方史でもあり、また幕府や、朝鮮使節団との応接、幕末激動の時代から明治、大正をへて現代に至る緻密で貴重な記録であり、『未来への大いなる遺産』である。
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多満自慢 石川酒造文書 第7巻

多満自慢 石川酒造文書 第7巻

多仁照広 著

 昭和58年12月創刊以来、迂余曲折20年、石川家の決断と多く の協力者を得て、ようやく完結を見た。本書は石川酒造の歴史のみならず、多摩川流域の地方史でもあり、また幕府や、朝鮮使節団との応接、幕末激動の時代から明治、大正をへて現代に至る緻密で貴重な記録であり、『未来への大いなる遺産』である。
 第1巻~第9巻 好評発売中。

多満自慢 石川酒造文書 第6巻

多満自慢 石川酒造文書 第6巻

多仁照広 著

 昭和58年12月創刊以来、迂余曲折20年、石川家の決断と多く の協力者を得て、ようやく完結を見た。本書は石川酒造の歴史のみならず、多摩川流域の地方史でもあり、また幕府や、朝鮮使節団との応接、幕末激動の時代から明治、大正をへて現代に至る緻密で貴重な記録であり、『未来への大いなる遺産』である。
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